Wifi、SNS、スマホ、バックパッカーとネットワークの話
学生時代からあらゆることを途中やめ、中途半端、放り投げし続けている僕の人生の中で、唯一ずっと続けているのが旅行、特にバックパッカーのような身軽な旅行だ。
僕たちの世代は面白い時期に20代を過ごしていて、ちょうど18歳になった2007年にiPhoneの初代機が発売されているし、Wifiが本格的普及し始めたのもこの頃だ。
またSNSの流行も僕たちが高校2年生ぐらいの頃から始まっていた。
ちょうどネットワーク技術の時流が今に直接つながっていく過渡期に、僕たちは青春時代を過ごしていた。
もちろん、そんなことに当時は全く気付く術もなかったんだけど。
そんな中で始めた旅行という趣味も、ネットワーク技術の進歩とともにその姿を大きく変えていった。
社会に出てからも宿業という立場で旅行と関わってきた立場だから断言できるが、今の旅行はこの過渡期以前の旅行とは全く違う。
技術の進歩は旅行の進め方から人とのコミュニケーションまで、様々なものを変えてしまった。
良い悪いではなく、ただそうなった。
そうなってしまった以上、変化は不可逆でそれ以前には戻れない。
ただそれだけの話。
僕はただそうなっていくのを、旅行を通して感じ、見続けてきた。
大学に入学した2008年の春休み、僕は初めて海外に一人で出かけた。
行き先はタイ、バンコク。一週間の短期旅行だった。
当時の日本はまだまだ技術先進国で、情報機器も周辺諸国に比べて格段に良いものを使っていた。
それでも、携帯電話はまだ二つ折りのいわゆる「ガラケー」で、電話やメール、パケット通信でのインターネットが主な使い道だった。
インターネットもやっと定額制になった頃で、通信量も速度もパソコンに比べたら話にならないレベルだった。
mixiというSNSが流行しており、大学生はだいたいアカウントを持っていた。
旅行中は、一切インターネットを使わなかった。
いや、使えなかったという方が正しい。
携帯電話は海外では全く使い物にならず、インターネットは宿が持っているパソコンやインターネットカフェで、安くないお金を払ってするのが一般的だった。
一週間の旅でそんなことをする時間も、目的もなかったのだ。
OTAサイト(booking.comみたいなの)はあるにはあったが、中級以上のホテルが多くレスポンスも遅いので、バックパッカーの宿探しはもっぱら現地到着してから歩いて聞き回るのが主流だった。
今考えると全く非効率極まりないのだが、実際ほとんどの場合部屋はそれで見つかったし、なんの問題もなかった。大変のんびりした時代だったと思う。
宿で色々な国の人と出会い、一緒に飲んだり観光したりしたが、どんなに仲良くなった人とも帰国後に関係を維持するのは難しかった。
当時はメールアドレスの交換がコンタクトを取る最短経路だったが、eメールというのはとても能動的なコミュニケーションツールで、関係を維持するにはお互いが相互に意思を持って会話を続けなければ、どこかで糸が切れてしまうのだ。
また、お互い手元にデバイスがなければ紙にアドレスを書いて渡すのだが、それを無くしたり捨てたりするというリスクも往々にあった。
旅行での人間関係が途切れなくなったのは、Facebookが台頭してきてからだった。
この翌年の2009年春、バックパック旅行に取り憑かれた僕は1ヶ月のヨーロッパ旅行を敢行した。
基本的には前回のタイ旅行と変わらないクラシックなバックパック旅行だった。
ただやはり技術の進みつつあった欧州で、旅行が変化していく兆候を感じた。
この時、バレンシアの火祭りに参加して連日連夜大騒ぎを繰り返していたのだが、ある日同宿の日本人女性にFacebookの存在を教えてもらった。
世界版のmixiみたいなもので、最近の若い人はみんなやっていると言っていたので、早速宿のパソコンで登録した。
最初は大して更新する予定もないのに意味があるのかと思っていたが、その凄さを知ったのは帰国してずいぶん経ってからだった。
関係が途切れないのだ。
とりあえず友達として登録しておけば、取ろうと思えば連絡を取りあうことができるし、ニュースフィードに上がってくる相手の近況や大まかなライフイベントがわかるので、受動的ながらコミュニケーションを取る事ができる。
ごく簡単にいうと、楽なのだ。
実際、Facebookを教えてくれた女性やこのとき遊んでいたメンバーとは今も連絡を取る事ができるし、何人かはその後再開も果たしている。
SNSが旅のコミュニケーションを爆発的に簡単に、効率的にしたと言っていいだろう。
また、この旅行は長期にわたっていたので、要所要所パソコンを借りて家族にメールで無事を知らせていた。
ある時、同宿のドイツ人にラップトップを借りたときに、ケーブルがつながっていないことに気づいた。
どうやってインターネットに接続しているのかと聞くと、宿に金を払ってWifiに接続していると言っていた。
恥ずかしいながら、技術に疎い僕がWifiというものを知ったのはこの時で、本当に驚いた。
日本ではまだ高級ホテルでさえWifi整備ができていない頃だったが、メールする程度には問題ない速度の無線LAN通信を、スペインの第三都市のバックパッカー宿が提供していたのだ。
そう考えると、この頃日本の情報分野の遅れはすでに始まっていたのかも知れない。
(日本でこのレベルの宿にWifiが普及し始めたのは2012年頃だった)
2年後の2011年冬、僕は卒業旅行として東南アジアを1ヶ月半ほどかけて周遊した。
この頃になると、カンボジアやラオスのバックパッカー宿でもWifiを整備し始めていた。
インターネットも手軽になり、宿でのPCの無料貸し出しは当たり前になっていた。
数年前まで電気も来ていなかったというメコン川に浮かぶ島でさえ、インターネットカフェがある程だった。(回線はめちゃくちゃ遅かったけど)
この時目立ったのはスマートフォンだ。
ちょうどiPhone3ぐらいの時だったと思うが、手のひらに乗るほどの機械でスムーズにインターネットをする姿はなかなか衝撃的だった。
iPhoneを持っていた女の子は、夜ベッドでゴロゴロしながら次の宿を決めたりできるから楽だと話していた。
それはその後、バックパック旅行における宿探しの主流になる姿だった。
4年後の2015年春、僕は再度バンコクを訪れる機会があった。
すでにWifiやスマホは普及しきっており、若者のトレンドだったFacebookは後発のinstagramに移りつつあった。
社会人になっていて旅行期間が短かったことや、彼女連れだったこともあるが、僕はその時の全ての宿をOTAサイトから予約していた。
もはや宿は、インターネットから、事前に、なるべく安い値段を狙って予約するのが当たり前になっていた。
むしろ、OTAサイトにない宿など存在しないに等しいのだ。
バンコクの景色も一変していた。
バックパッカーの聖地、カオサン通りに林立していたインターネットカフェが1つ残らず消え去っていた。
この間の4年でインターネットは、パソコンでお金を払ってするものから、スマホで無料でベッドでゴロゴロしながらするものに変わったていたのだった。
たったの7年で、バンコクの街からそこに集まるバックパッカーの生活まで、最初に来た時とは全く様変わりしていた。
本当に一瞬のうちに、色々な事が変わっていったと思う。全く便利になった
肩に食い込む重い荷物を背負っての宿探しなんて馬鹿げた真似する必要ないし、スマホを取り出せばインターネットはおろか、道案内や情報収集までなんでも瞬時にできる。
家族にだってキューバの友人だって、いつでもどこでも連絡できる。
バックパック旅行は以前に比べて安心、安全かつ無駄なく、スムーズに行えるようになった。
その分みんなインターネットに接続される時間がずいぶん長くなったように思えるが、それは何も旅行に限ったことではない。
最初に述べたように良いも悪いもなく、そうなった。ただそれだけなのだ。
僕はこれからも、時代やテクノロジーの影響で旅行が変化するのをただただ翻弄されていくだけだろう。
ただ、それがどんな形になろうと、否定したり拒絶せずに受け入れ、楽しんでいきたいとおもう。
旅行する立場でも、旅行者を受け入れる立場としても。
このパンデミックが治まったあと、多分旅行にも影響や変化が訪れるだろう。
正直少し煩わしいけど、楽しみでもあるのだ。