買ってきた米に虫が湧いていた。
10キロ30ドルほどの米なので思い切って捨てる選択肢もあるが、日本人の心情として米をそのまま捨てることへの抵抗感強い。
とりあえずこれ以上の繁殖を防ぐべく、丸ごと冷凍庫に入れた。
そして一週間が経った。
邪魔だ。
冷凍庫の2段目のほとんどを米が埋め尽くしている。嫁にも文句を言われている。
しかし、この米を食う気にも捨てる気にもなれない。
そうして今日も、冷凍庫をそっと閉じた。
買ってきた米に虫が湧いていた。
10キロ30ドルほどの米なので思い切って捨てる選択肢もあるが、日本人の心情として米をそのまま捨てることへの抵抗感強い。
とりあえずこれ以上の繁殖を防ぐべく、丸ごと冷凍庫に入れた。
そして一週間が経った。
邪魔だ。
冷凍庫の2段目のほとんどを米が埋め尽くしている。嫁にも文句を言われている。
しかし、この米を食う気にも捨てる気にもなれない。
そうして今日も、冷凍庫をそっと閉じた。
少し前に越してきたお隣さんと話す機会があった。
オーストラリア人と南スーダン人という取り合わせも去ることながら、
女性の年齢が男性の倍ほど年上に見える。
どういう関係なのだろうか。
連日の重労働と慣れないDIYで疲労困憊だった先週末、疲れのあまり何年かぶりに10時間以上寝続けてしまった。
起きた後に身体が近来ない快調だったため、以降21時には床につくことにしている。
というわけでおやすみなさい。
「借りてきた猫」とは、慣れない場所で縮こまったり緊張したりする様子を指す慣用句である。
当たり前のように使う慣用句なのだが、よく考えると他所から猫を借りてくることってあるだろうか?
調べるとどうやら江戸時代にはネズミよけの猫を貸す「猫屋」があったらしい。
猫を貸し出して働かせるなんてずいぶん気楽な商売だと思われる方がいるかも知れないが、僕はむしろよくもそんなにリスキーで面倒な商売を考えたもんだなと思う。
猫というのは実際飼ってみると大変にわがままかつ気まぐれで、よそに貸し出されてはいそうですかと働くほど忠実ではない。
警戒心も高いので仮にうちの猫を何処かに貸し出したとしても、少なくとも3日はタンスの影から出てこないのがオチだろう。
ネズミを獲らないとなると当然金は払ってもらえないだろうし、トイレ絡みのクレームなんて日常茶飯事だろう。猫にとって畳は絶好の爪研ぎ場所なので、畳の弁償なんてこともあったかも知れない。
貸し出すほど猫を飼っていたということはそこそこの頭数がいたと思うのだが、家の建具や柱は悲惨の極みだっただろう。
避妊なんて当然していなかっただろうから猫はバカスカ増えただろうし、それを養うための飯代やトイレの世話など想像したくもない。
あいつらは人間の制御化における頭数でのみ可愛いのであって、そうでなければあんなに面倒で煩わしい生き物もそういないだろう。
少なくとも、今日猫に薬を投与するのに二人で一時間かけた僕には、とても猫屋は務まりそうにない。
いつだったかまだ父親が生きていた頃、「最近のガキはみんなきれいな顔しているな」と感慨深げに言ったことがある。
曰く、昔は栄養不良なのか住宅事情なのかはわからないが、ほっぺたが真っ赤で鼻水が出ていて、身なりも体格もみすぼらしい、いかにも貧乏人といった子供がたくさんいたらしい。
父親が子供の頃見てきた欠食児童の姿など想像するのも難しかったので、当時はおじさんのたわごとぐらいに思っていた。
しかし最近身の回りの子供を見ていて、確かに自分たちの頃と比べて格段に身ぎれいになったと思うようになった。
何より、本当に鼻たれを見なくなった。
正確には、鼻たれの子供はいる。しかしそれは本当に小さく、大きくても2歳児ぐらい
だ。
自分が小学校の時分は、70人前後しかいない同級生の中に少なくとも3人はいた。
彼ら彼女らはもうすぐ10歳にもなろうというのに、どちらかの鼻から鼻水が垂れ流しになっており、それを袖なんかで拭うものだから服の裾が常に汚らしくテカテカしていた。
そういった子供を、最近は見なくなった。
もちろん故郷を遠く離れた南半球で暮らしているのもあるが、帰国した際に見る印象、友人の子どもたちを見ていても、どの子も身綺麗で顔立ちも整っており、みすぼらしい子供というのは目に入らなくなったと思う。
理由は複合的なものだろう。衛生環境や栄養面でも今の子供達は恵まれてるだろうし、そもそも貧しい者が結婚して子供を作るという選択肢自体がなくなってきたのもあると思う。
自分たちの頃より数は減らしているが、全体としての質が変わっているのかも知れない。
うちにはまだ子供はいないが、もし今後に持つことがあれば鼻たれだけは治してあげたい。
日本にいる頃、居酒屋では好んで瓶ビールを飲んでいた。
これは酒好きの友人の「生ビールは店のサーバー管理や樽のタイミングで味にばらつきがあるが、瓶ビールにはそれがない」という知見から来るもので、その友人と飲む機会があまりにも多いため、自然と自分も瓶ビールを選ぶようになった。
社会人経験が乏しいため上下関係の中の酒の継ぎ方などはわからないが、気のおけない友人に「まあまあ飲みないや」とか言いながら酒を注ぐのは結構好きである。
また、注ぐコップが大体5オンスのタンブラーなので、飲むペースが早くなりすぎないのも良いところだ。
僕は酒好きでつい飲みすぎてしまうため、物理的に飲みすぎない仕掛けとしてあの小さなコップはいい具合のブレーキになってくれる。
そもそも日本おいてビールは長らく瓶詰めのものが主流だった。古い映画で高倉健や菅原文太が啜っているのも、瓶から注がれたビールだ。
安食堂や場末の居酒屋には、やはり瓶ビールが一番しっくりくる。
市販のビールはもう殆どがアルミ缶入のものになっているが、外で飲む時はやはりまず瓶ビールで始めたい。
オーストラリアでは、市販のビールは缶または小瓶、店では生ビールが主流である。
特にパブでは複数種類の生ビールが選べるのが当たり前で、サーバー管理も段違いに優れており、生ビールに関しては日本が足元に及ばない程に美味い。
故に大瓶を外で飲む機会は皆無である。
しかし、大瓶というものが存在しないわけではない。
こちらでは「ロングネック」と呼ばれる大瓶サイズの瓶ビールが細々と売られている。
大抵酒屋の目立つところにはあまり置かれておらず、最下段か冷蔵室に無造作に積んであるが、愛好者が少なくないのか割とどこでもおいてある。
日本が恋しく、少しさみしくなったときはそれを買ってきて、ひとりやや猫背がちになりながら、手酌でちびちびやっている。
一本でぐらりと酔ってきて、そのまま寝てしまうのがなんとも心地良い。
何でも屋をやっているので、頼まれたら何でもやるのだが、案外依頼が多いのは草むしりだ。
オーストラリアの住宅は旧宗主国に習ってなのか庭が大きく出来ていて、これの手入れに甚大な時間と手間を要する。
これを代行するというのは、ぼちぼちのお金になる。
今日はほとんど一日草むしりをしていた。
成人男性が恥ずかしくない程度にはお金をもらっているのだが、どうしてもちいかわと収入源が同じということに、微妙にプライドが傷つくのである。