下京区コンプトン

下京区コンプトンに住んでいました。

【オーストラリア移民日誌2】あらゆる人生のツケの請求を感じている

ホテル隔離から釈放されて早二週間が経った。
経過は順調と言っても良いかもしれない。
嫁の助力は多分にあったものの、物件の内覧から契約、家具購入、携帯契約、学校登録、免許の切り替え、健康保険申請、銀行の登録変更、その他事務手続きを全て終え、非常勤だが仕事も手に入れた。

しかし同時に悩みも増えた。
まずとにかく英語が聞き取れない。書けない。
はっきり言って元々僕の英語力はかなり低いし、それに対する努力も怠ってきた。
それでも特段困ることもなかったし、仕事もできていた。
しかし、もうそうはいかなくなった。

さらに、今までのホテルのキャリアが通用しなくなった。
何故なら仕事がないからだ。
コロナで観光需要が冷え込んでいるので、求人が出ないのだ。

日本でなんとなく仕事を得るのにハッタリで使ってきたアドバンテージをがっつりもがれた今、僕はようやく自身のキャリアについて真剣に考えるようになった。

このままでも暮らせるが、決して良い暮らしはできない。
どうにかして何か金になる技能を身に着けなければ、いずれドン詰まることになる…。

社会の最低層の移民という立場になった今、かつてない強烈な危機感を覚えている。