下京区コンプトン

下京区コンプトンに住んでいました。

自分で自分の動画を撮って編集した感想

隔離生活で意外と苦しいことは、自我の表明をする場所が無いことだ。

人は大なり小なり、自己顕示欲を持っていると思う。

自分の存在の証明や意思の表明を無意識に必要としている。

通常それは日常生活や仕事、娯楽などで解消されるが、隔離生活にそれは無い。

 

僕は出国前から「隔離されたらその生活をyoutube配信する」と言う旨を周囲に表明していた。

これは動画配信への興味もあったが、「二週間ほぼ社会と切り離されて自己を表現する機会がなくなる」と言うことを恐れていたからだ。

結果的に見るとこの試みは正解だったと思う。

自分で自分を撮影し、それを世界中に向けて晒すと言う文字にするだけでも恥ずかしい行為は、確かに僕の精神衛生に大きく貢献してくれたし、自己顕示欲を満たしてくれた。

これがなければ隔離生活はもっと精神的に追い詰められるものになっていただろう。

一つの部屋に閉じ込められ続けるのは、思ったよりも辛いことだ。

 

この約10日で3本の動画をYoutubeにアップしたが、その過程で出た感想を羅列する。

これも自己顕示欲を満たす表現行為の一つだ。

 

 

①Youtuberすごい

 動画の撮影も編集も、実際やると本当にめんどくさい。

 まず全体の構成を考えて、それに必要な素材を撮影する。NGが当然出てくるので、想像以上に時間がかかる上に神経を使う。

 撮影が終わったらPCに落とし込んで編集が始まる。撮影に比べて時間もかかれば地味で、切って貼って再生してを延々繰り返さなければならない。

 字幕だって手打ちだし、音楽や効果音も選ばなくてはいけない。

 10分の動画を作るのに、少なくともその10倍以上の時間を費やす必要がある

 それが終わってやっとWebにアップできるのだが、本業の人たちはこの後も長い。

 動画の詳細アナリスティクを見ながら、次回の展開や構成を考えて行かなければいけない。それが即収入に影響するのだから、真剣さもひとしおだろう。

 それに365日取組み続けるのだから、何事もプロというのはすごい。

 簡単には換算できないが、おそらく普通のサラリーマンよりも仕事に時間は割いていると思う。

 

②自己嫌悪がすごい

 自分の顔が延々と出てくる動画の編集をしている時、どんな気持ちがするか。

 ひたすら自分が嫌になる。それに尽きる。

 動画というのは写真以上に自分の顔、姿勢、体格をはっきりと表現する。

 動く自分と正面から向き合うのは、かなり勇気のいる行為だ。

 僕の顔はこんなに凸凹しているのか、こんなに姿勢が悪いのか、こんなに顔が歪んでいるのか。向き合いたく無い現実をまざまざと見せつけられて苦しくなる。

 おまけに画面の中の不細工はしょっちゅう言葉を噛むし、詰まる。声も平面的だし滑舌が悪くて聞き取りづらい。

 そんな自分の映像を、切ったり貼ったりし続ける。はっきり言って胃がムカついてくる。

 なんかこんな奴といつも普通に喋ってくれるみなさま、本当にありがとうございます。

 

③勇気が要る

 最初に動画を公開するときは本当に勇気が必要だった。

 恥部を晒すような気恥ずかしさがあったし、いまだに恥ずかしい。多分コメントで変なこと書かれたら即閉鎖してしまうだろう。

 それでも何となく続けているのは、やはり自己顕示欲を満たせているからだと思う。

 ほぼ身内だけだけど、やっぱり人に観てもらえて、ちょっとでも反応がもらえるのは嬉しいことだ。

 

いつまで続くかわからないけど、この生活から脱出できるまでは、少なくとも続けたいなと思う。