年齢
気付けば28歳になっていた。
ものの数ヶ月のうちに29歳になり、三十路も目前となってきた。
周囲も結婚しだして、妙な焦燥感とともに日々を送っている。
年齢を感じるのは、死んだロックスターの年齢を追い越した時だ。
中学生の頃にパンクロックに傾倒し出した時、シド・ヴィシャスははるか年上だった。
カッコよく駆け抜けて死んでいったパンクスターに密かな憧れさえあった。
大学に入り国内外旅しまくっていた頃、気付けば僕はシド・ヴィシャスの年齢を超えていた。
いつの間にかパンクスターより年上になっていた。
ブラック企業に勤めて脱出の機会をうかがっているうちに、オーティス・レディングより年上になっていた。
一応安定した仕事を得て遊び呆けてるうちに、ジミ・ヘンドリクスより、ジャニス・ジョプリンより、ジム・モリソンより、カート・コバーンよりも年上になっていた。
いつの間にか憧れたロックスター達よりも長く生きていた。
今思うのは、彼らは彼らの人生を燃やし尽くしたのだろうが、やっぱり死んでしまうのは寂しいことだ。
長生きしたいとも思わないが、生き急ぎたいとも思わない。
ピート・タウンゼントは「老いぼれる前に死にたい」と歌ったことを後悔しているという。
多分、老いぼれたら老いぼれたなりに良いことや楽しいこともあったのだろう。
体臭
体臭が気になる。
自分のである。
体臭というのはとにかく自分で気付きにくい上に、指摘されづらいナイーブな問題である。
なのでなかなか強烈な臭いを放っている人も、自覚がないというケースが案外に多いのである。
故に、自分が臭っていないかが最近気になっている。
気づいたら是非人目を憚らずに教えて欲しいと思う。
以前にスタイリストの人に聞いたところ、北欧のモデルは臭いがキツい傾向があると言っていた。
本当に綺麗なモデルさんが多いが、衣装替えの時「マジかよ」って人が多いらしい。
美人だが臭いがキツい、というのはなかなか究極の選択を迫られている感がある。
超絶美女だが臭いが気になる人に誘惑された時、あなたならどうするだろうか。
僕なら臭いを気にすることなく突き進む。
だって慢性鼻炎だから。
彫り物
彫り物が好きだ。
入墨のことである。
別に自分で入れたり、わざわざ見たりはしないが、見事な彫り物はやはり見事であり、職人の技や粋を感じる。
特に和彫りは殊の外繊細でカラフルであり、情緒感に富んでいる。
彫り物を見るのは主に銭湯である。
なぜか彫り物のある人々は銭湯が好きだ。
京都市内の男風呂ならほぼどこでも何らかの彫り物を見ることができるだろう。
下京区コンプトン界隈は治安がよろしくないので、比例して銭湯での彫り物目撃率が上がっている。
先日、お休みの日に銭湯に行くといつも以上に彫り物率が高かった。
何か会合でもあったのだろう。
特に害がある訳でもないので、気にせず湯浴みを楽しんでいた。
やはり大人数が彫り物を入れてると壮観なものがあったが、ひときわ目を引いたのは肩からアキレス腱あたりまで背面いっぱいに彫られた酒呑童子だった。
ポーズをとった酒呑童子がダイナミックに描かれ、それはそれは見事だった。
今日は良いものを見たな、と思いながら風呂から上がると、一足先に上がっていたであろう酒呑童子氏が脱衣所にいた。
まだ上半身は裸で、酒呑童子がこちらを睨んでいたが、何か様子がおかしかった。
酒呑童子の顎から胸にかけて何かが貼られていてが見えないのである。
貼られているものが肌色だったので一瞬何かわからなかったが、それはベージュの湿布だった。
多分、身体を何かで痛めているのであろう。
腰のやや上に、巨大な湿布が二枚も貼ってあった。
酒呑童子はその下敷きになっていたのである。
おまけに肩にも小さいのを貼っていたので、酒呑童子の両腕が拘束される形になったいた。
勇ましい酒呑童子が、一気に滑稽で哀愁あるものに変わった。
酒呑童子の目が僕に語りかけるようだった。
「どうしてこうなった」と。
その刹那、服を着られて酒呑童子は見えなくなった。
誰も老いには勝てない。
彫り物の最も難しいところは、歳をとってから彫り物をカッコ良く見せ続ける努力なのかも知れない。
snow
昨年から、スマホアプリのsnowが爆発的に流行している。
写真やムービーで人の顔にエフェクトをかけるアプリである。
SNSなんかで色んな人がやっているのを見ていたが、僕は一度もやったことがなかった。
だいたい全然面白くなかったからである。
あと、自分の顔にエフェクトをかけることに何ともいえない気色悪さも感じていた。
しかし昨晩、飲み屋で隣にいた人と盛り上がり、snowを撮ろうという手筈になった。
慣れた手つきでアプリを立ち上げ、自撮りモードに。
どうやら選んだエフェクトが自撮りに乗っかる形らしい。
しかし、いつまでたってもシャッターが押される事はなかった。
僕の顔がどうやっても認識されないのだ。
暗さのせいか、日焼けのせいか、はたまた僕の顔は顔ではない何かなのか。
原因は全くわからないが、とにかく僕だけエフェクトがかからない。
顔の入れ替えも出来ない。
こんなことは今までにないとのことだった。
こうして僕はsnowを体験できずに終わった。
今、あれだけ嫌っていたsnowをやってみたくてしょうがない。
古墳
職場の後輩が家の近くで古墳を発見したと言う話をしていた。
確かに京都はさすが古都というだけあり、各地に古墳が点在している歴史の宝庫である。
僕たちの地元には裏山があり、やはり裏山の中にも古墳が多数あった。
古墳とは名のつくものの、ただの崩れかけた土盛りに近いものがあり、大して管理もされていなかったのが事実である。
小学生だった頃のある日、裏山で遊んでいる時に古墳の中に入ってみようという話になった。
そのエリアの古墳は直径で10m程度のものが数個点在しており、入り口も特にふさがれることなく開いていた。
子供の遊びにはもってこいである。
ジャンケンに負けて入った古墳の中は異様だった。
妙な家財道具は置いてあるし、焚き火の跡もある。
どう見ても人が生活している、もしくはしていた感じで気味が悪かった。
誰がそこで生活をしているかはすぐにわかった。
ある日小学校の陸上部の練習で山に入った時、古墳に程近いところで、全裸のおっさんが川で体を洗っていたのだ。
全裸で。
みんなが悲鳴をあげる中、僕及び友達数人は確信していた。
あいつは古墳に住んでいる奴に違いない。
古墳に住む、野生のホームレスなのだ、と。
一応言っておくが21世紀初頭の話である。
特に危害を加えるでなく野生のおっさんは去っていった。
陸上部の練習も夏の終わりまでそこで行われた。
今なら確実に案件になっているが、その頃は全然騒ぎにもならずに終わっていた。
今思えば、あの頃はそういう曖昧さが許容されていた気がする。
積極的に介入はされないにしても、放っておかれるぐらいの自由はあったのだ。
例え住所が古墳の中であってもである。
そんな曖昧さが今日には欠けていると思うし、当時いた曖昧な暮らしの人たちは一体どうしているのだろう、と気になることがたまにある。
建て前
世の中は本音と建て前が溢れている。
建て前とは大変に便利なものである。
とりあえず建てておけば、どんな詭弁でも理由になりうるのだ。
前日東急ハンズのクッキングコーナーを見ていると、ワイン酵母なるものが売っていた。
近年流行りの自家醸造キットすなるものである。
コンドームの袋ぐらいの大きさに粉末のワイン酵母が入ったもので、約24Lのワインを醸せるらしい。
たいしたものである。
しかし、注意書きに妙な一文がくっついていた。
※日本では無免許のアルコール1%以上の酒類製造は認められておりません
とのことだ。
激しい自己矛盾である。
ワイン酵母の存在意義が問われる事案だ。
このメッセージを読み解くと、建て前は「ワインを24L醸せるけど、アルコール飲料作ったらあかんで」
となる。
おそらく本音では「うちでは責任持たねーけど勝手にしやがれ」ということかと思う。
はっきり言って詭弁であるが、注意を喚起して禁止される理由に該当しなければお咎めはされないのだ。
これが建て前の効能である。
同じような例で、10年ほど前の大阪南では、大麻の種が普通に売っていた。
大麻は発芽させた瞬間から取締法に引っかかるので、「このタネは観賞用なので、絶対に発芽させないでください」との注意書きが貼り付けられていた。
もちろん、これも建て前と言う名の詭弁である。
どの世界に大麻の種を部屋に飾って見て楽しむ人間がいるのだ。
しかし、前例と同じく禁止される理由に該当しないので、罰せられないわけだ。
建て前は役に立つ。
人間社会では建て前によって救われることも多くあるのである。
時には詭弁を建てて道理を封じ込めるのも、必要になることだってあるのだ。
でも大麻の種はさすがにダメだったようで、最近は全然見なくなった。
多分、引き際も大事なのだろう。
詭弁は用法用量を守り、正しくお使いくだはい。
ダンス
僕はダンスが下手なようだ。
非常に気色の悪い動きをしているようである。
最近音楽フェスに行く機会が多く、週末は楽しく身体を揺らしている。
最近は猫も杓子もインスタグラムなので、他人がUPした投稿に自分が写り込んでいることも少なくない。
夜長の徒然に検索をかけていると、自分が踊っている姿が長時間写り込んでいる動画が見つかった。
なかなかおぞましい踊りだった。
前かがみに猫背でやたらと手をジタバタしている色白で胴の長いアジア人が写っていた。
そもそもリズムが微妙にズレている。
なぜ隣の友人が僕を見てげらげら笑っていたのかようやく理解ができた。
まあ楽しんだもの勝ちなので良いのだが、それにしてもちょっとひどすぎた。
次回からはせめてもう少し背筋を伸ばそうと思う。