古墳
職場の後輩が家の近くで古墳を発見したと言う話をしていた。
確かに京都はさすが古都というだけあり、各地に古墳が点在している歴史の宝庫である。
僕たちの地元には裏山があり、やはり裏山の中にも古墳が多数あった。
古墳とは名のつくものの、ただの崩れかけた土盛りに近いものがあり、大して管理もされていなかったのが事実である。
小学生だった頃のある日、裏山で遊んでいる時に古墳の中に入ってみようという話になった。
そのエリアの古墳は直径で10m程度のものが数個点在しており、入り口も特にふさがれることなく開いていた。
子供の遊びにはもってこいである。
ジャンケンに負けて入った古墳の中は異様だった。
妙な家財道具は置いてあるし、焚き火の跡もある。
どう見ても人が生活している、もしくはしていた感じで気味が悪かった。
誰がそこで生活をしているかはすぐにわかった。
ある日小学校の陸上部の練習で山に入った時、古墳に程近いところで、全裸のおっさんが川で体を洗っていたのだ。
全裸で。
みんなが悲鳴をあげる中、僕及び友達数人は確信していた。
あいつは古墳に住んでいる奴に違いない。
古墳に住む、野生のホームレスなのだ、と。
一応言っておくが21世紀初頭の話である。
特に危害を加えるでなく野生のおっさんは去っていった。
陸上部の練習も夏の終わりまでそこで行われた。
今なら確実に案件になっているが、その頃は全然騒ぎにもならずに終わっていた。
今思えば、あの頃はそういう曖昧さが許容されていた気がする。
積極的に介入はされないにしても、放っておかれるぐらいの自由はあったのだ。
例え住所が古墳の中であってもである。
そんな曖昧さが今日には欠けていると思うし、当時いた曖昧な暮らしの人たちは一体どうしているのだろう、と気になることがたまにある。
建て前
世の中は本音と建て前が溢れている。
建て前とは大変に便利なものである。
とりあえず建てておけば、どんな詭弁でも理由になりうるのだ。
前日東急ハンズのクッキングコーナーを見ていると、ワイン酵母なるものが売っていた。
近年流行りの自家醸造キットすなるものである。
コンドームの袋ぐらいの大きさに粉末のワイン酵母が入ったもので、約24Lのワインを醸せるらしい。
たいしたものである。
しかし、注意書きに妙な一文がくっついていた。
※日本では無免許のアルコール1%以上の酒類製造は認められておりません
とのことだ。
激しい自己矛盾である。
ワイン酵母の存在意義が問われる事案だ。
このメッセージを読み解くと、建て前は「ワインを24L醸せるけど、アルコール飲料作ったらあかんで」
となる。
おそらく本音では「うちでは責任持たねーけど勝手にしやがれ」ということかと思う。
はっきり言って詭弁であるが、注意を喚起して禁止される理由に該当しなければお咎めはされないのだ。
これが建て前の効能である。
同じような例で、10年ほど前の大阪南では、大麻の種が普通に売っていた。
大麻は発芽させた瞬間から取締法に引っかかるので、「このタネは観賞用なので、絶対に発芽させないでください」との注意書きが貼り付けられていた。
もちろん、これも建て前と言う名の詭弁である。
どの世界に大麻の種を部屋に飾って見て楽しむ人間がいるのだ。
しかし、前例と同じく禁止される理由に該当しないので、罰せられないわけだ。
建て前は役に立つ。
人間社会では建て前によって救われることも多くあるのである。
時には詭弁を建てて道理を封じ込めるのも、必要になることだってあるのだ。
でも大麻の種はさすがにダメだったようで、最近は全然見なくなった。
多分、引き際も大事なのだろう。
詭弁は用法用量を守り、正しくお使いくだはい。
ダンス
僕はダンスが下手なようだ。
非常に気色の悪い動きをしているようである。
最近音楽フェスに行く機会が多く、週末は楽しく身体を揺らしている。
最近は猫も杓子もインスタグラムなので、他人がUPした投稿に自分が写り込んでいることも少なくない。
夜長の徒然に検索をかけていると、自分が踊っている姿が長時間写り込んでいる動画が見つかった。
なかなかおぞましい踊りだった。
前かがみに猫背でやたらと手をジタバタしている色白で胴の長いアジア人が写っていた。
そもそもリズムが微妙にズレている。
なぜ隣の友人が僕を見てげらげら笑っていたのかようやく理解ができた。
まあ楽しんだもの勝ちなので良いのだが、それにしてもちょっとひどすぎた。
次回からはせめてもう少し背筋を伸ばそうと思う。
ダブり
アメトークでダブり芸人というのをやっている。
うちの高校でのダブりは悲惨だった。
僕らの次の代から制服が変わったのだ。
僕らの代までは上下グレーの墓石ライクな制服だったが、次の代からは上下で色の違う割と小マシな制服だった。
つまりダブると卒業まで小マシな制服の中で墓石カラーの制服を着ることになる。
ダブるには最悪のシチュエーションだったのである。
幸い僕でも中上位につけられるぐらいに学力が残念な学校だったので、留年の心配はなかったが、それでもやっぱりダブる奴がいた。
ダブる奴には二種類がいた。
開き直って順応していく者と、溶け込めずに学校を去る者である。
学年が上がった時、ある同級生がダブったと聞いた。
全然仲良くもなかったが、「ドンシ」という強烈なあだ名をつけられていたので存在は知っていた。
ちなみに本名は井上なのだが、点を二つ足して「丼士(ドンシ)」だった。
由来は知らないが、つまりそういう存在だった。
本当に嫌な奴だと自分でも思うが、進級したその日に留年したドンシを一年生のクラスにわざわざ見に行った。
自分たちが昨年度使っていた教室をひとつひとつ見て回り、ドンシの姿を探したのだ。
二、三教室目でドンシを見つけた。
ドンシは俯き加減で席に座っていた。
制服の違いから、ダブったのは誰の目からも明らかだった。
それでなくても周りは先週まで下級生だった連中なのだ。
誰とも話せないし、誰も話しかけなかった。
ドンシはこちらに気づくと少し全員の顔を睨んだが、また元の俯き加減の無表情に戻った。
その時、彼は遠からずこの学校を去るだろうと確信したことを覚えている。
その後、彼がどうなったかは全く知らないが、どこかで元気でやっていればいいなと思う。
偽物
高校の時、ラーメン屋でバイトをしていた。
このラーメン屋はかなりのガテン系で、飲食業界でYAZAWAばりの成り上がりを夢見た熱い若者達(及びおっさん達)が日々汗を流して働いていた。
店長を筆頭に社員はだいたい元ヤンキーの方々だった
。
ある日、バックヤードでたまたま居合わせた店長と話をしていた。
店長は当時40歳過ぎで僕と同い年ぐらいの息子がいたので、よく可愛がってくれていた。
店長がタバコを吸うとき、火をつけながらライターを僕に見せてきた。
金色の高級そうなライターだった。
店長は僕にライターを見せながら、
「これはデュポンっていう会社のライターなんやけど、ホンマは偽物なんや」と僕に言った。
更に「偽物やけど、俺ぐらいの人間が持ってると本物に見えるねん。お前が持ってても偽物にしか見えへんやろ?だから大物になって偽物が本物に見えるようにならなあかんねん」と言った。
僕は「あ、はい」とだけ答えた。
なんか良い事を言ってる雰囲気を醸していたので何も言えなかった。
でも、どう見えようと偽物は偽物じゃないか?
いい歳して偽物のライター持って本物に見えると自慢するのってクッソ恥ずかしいしダサいことではないのかと。
大きく見えていた店長をひどく矮小に感じた時だった。
その一件以来、高級品の偽物を買ったり持ったりしなくなったので、それは良かったと思っている。
chara
週末は森道市場という音楽フェスに出掛けていた。
海沿いでやるのに森道市場という謎のタイトルだった。
邦楽アーティストが主で正直全然聞かないジャンルの人たちがほとんどだったが、全部ものすごい良くて知見が広がった。
メインアクトの一人、charaは前から知っていた。
と言ってもYUKIの亜種ぐらいの認識だったし、メンヘラが聞くイメージがあった。
曲調と声でなんとなくわかる程度のものだった。
反面気にもなっていたので、友達が行くのに着いて行って見てみることにした。
折しも夕暮れ時、彼女はステージに現れた。
まず衝撃的なのは髪型だった。
髪の色は蛍光色のオレンジだった。
これは形容ではなく、ブラックライトに反応して発光していたので純粋にに蛍光オレンジなのだ。
髪型はジョジョ6部の空条徐倫とラピュタのドーラ婆さんを足して二で割った感じ。
友達が思わず「俺この人抱けないわ」と失礼な言を漏らしていたが、それも致し方なかった。
初の生charaの声は想像以上にかすれ声で、どうやってあのキーをひねり出しているのか本当にわからなかった。
ただ、その実力は確かに本物だった。
一曲聴くごとに妖艶な歌声と世界観に没入するのを感じた。
ただ、時々「イャァー!」とも「ヒャァー!」ともつかない猛禽類っぽい雄叫びが入るのがちょっと怖かった。
曇り空に夕日の赤紫が混じり出した時、僕が知っている曲が始まった。
あとで友達に聞くと「Swallowtail butterfly 」という曲らしい。
歌が始まった瞬間、僕は曲の世界に囚われた。
初夏の夕暮れをひたすら歩いているような心地よさがあった。
音楽の力を久々に心から感じた瞬間だった。
僕はcharaの歌声の中に夏を一度体験したような気がする。
なので、まだ5月でこれから夏が始まることが楽しみで仕方がないのだ。
ちなみにcharaは50歳になったとのことだった。
なるほど魔女感があった訳だ。
僕は次世代の美輪明宏ポジションはcharaが食い込んでくると確信している。
ユンケル
最近、少し体調を崩していた。
先週、体調を崩していた同僚を病院に連れて行った際に風邪を感染されたらしい。
通常、ビタミン摂取と睡眠時間の確保で治るのだが、今回はかなりしつこかった。
3日安静モードを取ったにも関わらずに完治せず、夜勤を迎えてしまった。
夜勤をこなす中で消耗した体力が祟り、夜勤明けのコンディションは最悪だった。
夜勤明けは2日休みなのだが、今週の休みは珍しく土日とかぶっていたので音楽フェスに行く予定を入れてしまっていた。
チケットや車両の段取りまで済ましていたのだ。
もちろん休み明けはまた仕事なので、仕事に影響が出るような行為は慎まなくてはならない。
しかし、フェスも楽しみたい。
絶対に負けられない戦いがそこにあった。
とりあえず、夜勤明けでクラクラとする意識の中、ドラックストアに向かった。
夜勤明けはいつもに増して要らないことや無駄なことを思いつくのだが、その流れで「和田アキ子は大事なライブの前に薬局で一番高いドリンク剤を買って飲む」という話を思い出したからだった。
あの和田アキ子が頼りにするドリンク剤を見つければ、この困難を解決出来るのではないかと。
あの鐘を鳴らせるのではないかと。
薬局のドリンク剤コーナーはかなり大きく、値段もピンキリだった。
安いやつは三本千円とかだったが、コンディション的にそんなものでは太刀打ち出来なそうだった。
拳銃が三丁あるよりもグレネードランチャーが一発打てた方が良い。
とにかく一撃で仕留めてしまわないと、フェスも仕事も辛いことになってしまう。
そんな中、ユンケルコーナーに目が向いた。
「イチローも飲んでる!」というユンケルのその隣。
一番端に一本だけ、そいつは鎮座していた。
一本三千円。
全盛期のアースウインドアンドファイヤーを思わせる黄金のパッケージがこちらに語りかけてきた。
「我を求めよ、さすれば力を授けん」
思わずカードで一括払いで買った。
パッケージを開けると、唐辛子の入れ物ほどの小瓶だった。
一気に飲み干す。
テキーラのような熱さが食道を通り抜けていった。
効いたのか?
早めのユンケル。
その後はもう眠るしかなかった。
とにかく信じて、なるべく早く眠った。
目を覚ますと奇跡が起きていた。
もちろん元気100倍とは言わないが、不快な頭痛や関節痛、だるさ、喉の痛みがほぼなくなっていた。
あれほどしつこくまとわりついていた風邪が、一晩のうちに消え去った。
その後も蒲郡までの運転や、豪雨の中のフェス、炎天下の大暴れからの帰宅というハードスケジュールも、何の無理もなくこなしてしまった。
そんな劇薬が、ドラックストアに普通に売っているという事実。
何か恐ろしい社会の深淵に触れた気がした。
複雑怪奇な現代社会。
窮地に追い詰められた時は、ドラックストアのドリンク売り場に行きましょう。
数枚の紙幣を生贄に捧げ、黄金の悪魔に助けを求めるのです。
「我を求めよ、さすれば力を授けん」