下京区コンプトン

下京区コンプトンに住んでいました。

chara

週末は森道市場という音楽フェスに出掛けていた。

海沿いでやるのに森道市場という謎のタイトルだった。

 

邦楽アーティストが主で正直全然聞かないジャンルの人たちがほとんどだったが、全部ものすごい良くて知見が広がった。

 

メインアクトの一人、charaは前から知っていた。

と言ってもYUKIの亜種ぐらいの認識だったし、メンヘラが聞くイメージがあった。

曲調と声でなんとなくわかる程度のものだった。

 

反面気にもなっていたので、友達が行くのに着いて行って見てみることにした。

 

折しも夕暮れ時、彼女はステージに現れた。

まず衝撃的なのは髪型だった。

髪の色は蛍光色のオレンジだった。

これは形容ではなく、ブラックライトに反応して発光していたので純粋にに蛍光オレンジなのだ。

髪型はジョジョ6部の空条徐倫ラピュタのドーラ婆さんを足して二で割った感じ。

友達が思わず「俺この人抱けないわ」と失礼な言を漏らしていたが、それも致し方なかった。

 

初の生charaの声は想像以上にかすれ声で、どうやってあのキーをひねり出しているのか本当にわからなかった。

ただ、その実力は確かに本物だった。

一曲聴くごとに妖艶な歌声と世界観に没入するのを感じた。

 

ただ、時々「イャァー!」とも「ヒャァー!」ともつかない猛禽類っぽい雄叫びが入るのがちょっと怖かった。

 

 

曇り空に夕日の赤紫が混じり出した時、僕が知っている曲が始まった。

あとで友達に聞くと「Swallowtail butterfly 」という曲らしい。

 

歌が始まった瞬間、僕は曲の世界に囚われた。

初夏の夕暮れをひたすら歩いているような心地よさがあった。

音楽の力を久々に心から感じた瞬間だった。

 

僕はcharaの歌声の中に夏を一度体験したような気がする。

なので、まだ5月でこれから夏が始まることが楽しみで仕方がないのだ。

 

 

ちなみにcharaは50歳になったとのことだった。

なるほど魔女感があった訳だ。

僕は次世代の美輪明宏ポジションはcharaが食い込んでくると確信している。

 

ユンケル

最近、少し体調を崩していた。

先週、体調を崩していた同僚を病院に連れて行った際に風邪を感染されたらしい。

 

通常、ビタミン摂取と睡眠時間の確保で治るのだが、今回はかなりしつこかった。

3日安静モードを取ったにも関わらずに完治せず、夜勤を迎えてしまった。

夜勤をこなす中で消耗した体力が祟り、夜勤明けのコンディションは最悪だった。

 

夜勤明けは2日休みなのだが、今週の休みは珍しく土日とかぶっていたので音楽フェスに行く予定を入れてしまっていた。

チケットや車両の段取りまで済ましていたのだ。

 

もちろん休み明けはまた仕事なので、仕事に影響が出るような行為は慎まなくてはならない。

しかし、フェスも楽しみたい。

絶対に負けられない戦いがそこにあった。

 

とりあえず、夜勤明けでクラクラとする意識の中、ドラックストアに向かった。

夜勤明けはいつもに増して要らないことや無駄なことを思いつくのだが、その流れで「和田アキ子は大事なライブの前に薬局で一番高いドリンク剤を買って飲む」という話を思い出したからだった。

 

あの和田アキ子が頼りにするドリンク剤を見つければ、この困難を解決出来るのではないかと。

あの鐘を鳴らせるのではないかと。

 

薬局のドリンク剤コーナーはかなり大きく、値段もピンキリだった。

安いやつは三本千円とかだったが、コンディション的にそんなものでは太刀打ち出来なそうだった。

拳銃が三丁あるよりもグレネードランチャーが一発打てた方が良い。

とにかく一撃で仕留めてしまわないと、フェスも仕事も辛いことになってしまう。

 

そんな中、ユンケルコーナーに目が向いた。

イチローも飲んでる!」というユンケルのその隣。

一番端に一本だけ、そいつは鎮座していた。

 

一本三千円。

全盛期のアースウインドアンドファイヤーを思わせる黄金のパッケージがこちらに語りかけてきた。

 

「我を求めよ、さすれば力を授けん」

 

思わずカードで一括払いで買った。

 

パッケージを開けると、唐辛子の入れ物ほどの小瓶だった。

 

一気に飲み干す。

テキーラのような熱さが食道を通り抜けていった。

 

効いたのか?

早めのユンケル。

 

その後はもう眠るしかなかった。

とにかく信じて、なるべく早く眠った。

 

 

目を覚ますと奇跡が起きていた。

もちろん元気100倍とは言わないが、不快な頭痛や関節痛、だるさ、喉の痛みがほぼなくなっていた。

あれほどしつこくまとわりついていた風邪が、一晩のうちに消え去った。

 

その後も蒲郡までの運転や、豪雨の中のフェス、炎天下の大暴れからの帰宅というハードスケジュールも、何の無理もなくこなしてしまった。

 

そんな劇薬が、ドラックストアに普通に売っているという事実。

何か恐ろしい社会の深淵に触れた気がした。

 

 

複雑怪奇な現代社会。

窮地に追い詰められた時は、ドラックストアのドリンク売り場に行きましょう。

数枚の紙幣を生贄に捧げ、黄金の悪魔に助けを求めるのです。

 

「我を求めよ、さすれば力を授けん」

洗濯ネットと生活文化

恥ずかしながら、洗濯ネットの使い方を最近知った。

洗濯ネットの存在は以前から知っていたし、実家でも使われていたが、あれは女性物の服を保護するものだとばかり思っていた。

何故かと言うと、実家の母がそうしていたからである。

実家の母は自分の衣類はマメに洗濯ネットに入れていたが、父及び僕たちの洗濯物は物に関わらず洗濯機にぶち込んでいた。

それを見ていたので、そうするものと思っていたし、実際に最近までそうしていた。

 

しかし、衣類どうしの擦れや絡みが気になり、ネットで調べてみると洗濯ネットを使うと解消するとのことだ。

なるほど、あれはそういう時にも使えるシロモノなのかと素直に納得した。

 

こういう事例は他にもあり、先日ドイツの友人とお茶の産地を巡っている時に、現地でお茶を振る舞われた。

 

その際、煎茶を淹れるときのお湯の温度の話になった。

僕は正直に、熱湯をそのまま注いでいるという話をすると、全員にドン引きされた。

なんならドイツの友人が一番引いてた。

煎茶というのは、50-70℃のお湯で淹れるのが常識らしい。

 

これも何故そうしていたというと、やはり実家の母がそうしていたからである。

 

その後全員からお茶のレクチャーを受け、以来お茶はお湯を冷まして淹れるようになった。

 

生活文化というのは幼少の頃から見ていた母親のやり方を見て学ぶことが多いが、学校や実社会で学ぶ機会が少ない。

それでいて、いざ自活を始めると直面する問題が多いのである。

 

今まで結構家庭科をバカにしていたが、その有効性がようやくわかってきた次第でございます。

 

お手伝い

京都の南の果てに南山城村という地区がある。

今日は縁があり、友達と民泊のおばちゃんのお手伝いをしてきた。

初めて外国人客を受け入れるとのことで、言葉が全く通じないことを心配していたおばちゃんの通訳サポートをすることになっていた。

僕自身、そこまで英語に自信がある訳ではないが、最近は勉強がてら機会があればそういう場面に積極的に首を突っ込んでいる。

 

結論から言うと、今日は全く英語を使う機会がなかった。

というのもお客さんは台湾のおばちゃん×3で英語がほぼ全く出来なかった。

ドヤ顔で通訳しに行った僕は一瞬でデクノボウと化した。

 

しかし、いつも食いきれないほどご飯をご馳走してくれるおばちゃんのお役に立ちたいと、必死でコミュニケーションの糸口を探った。

山奥なのでグーグル翻訳は不可だった。

結果、一番効果を発揮したのは筆談だった。

中国語は全然わからないが、なんとなくそれっぽいことをそれっぽくかくとそれなりに通じた。

 

例えば「私は台湾に行きたい」は

「我欲渡航台湾」

「東北震災の時、たくさんの支援ありがとう」は

「過日東北震災時、台湾送多支援、多謝」

という感じである。

 

何事も諦めないことと創意工夫である。

 

そんなこんなをしてると、不思議とお互いなんとなくコミュニケーションが取れてきたようである。

 

最後はおばちゃんを残して帰ることになったが、おばちゃんは日本語、お客さんは中国語なのに何故か会話が成立していた。

 

おばちゃん達の異常なコミュニケーションスキルは言語を超えられるのかも知れない。

黄金週間

GWが終わった。

5月3日にあれほど笑顔と希望に満ち溢れていた街も、今日は死んだ目と陰鬱に塗り替えられていた。

 

考えてみればGWは特別な休暇だと思う。

日本の主だった長期休暇は盆正月GWだが、盆正月はだいたい儀式めいた何かがある。

初詣をしたり、墓参りをしたり、よくわからない親戚のいるめんどくさい寄り合いに顔を出したりと、何かとそこに食い込んでくる文化風習に忙殺されがちだ。

 

しかしGWは違う。

ただの祝日、それも近代になって制定されたものの集まりなので面倒なしきたりが一切ないのだ。

故に自由度が高く、最も休暇らしく休暇を過ごせるのである。

 

さらに気候が素晴らしい。

盆は地獄のように暑く、正月は凍えるほど寒い。

どちらもはっきり言って娯楽に適していないのだ。

しかしGWのある五月は天候も安定しており、日本には珍しいさっぱりした気候を楽しめるのである。

実に娯楽向きだ。

 

それ故に、落胆の色も大きい。

遊びに遊びを尽くしたボロボロの身体で5日間を戦い抜かなければならないのである。

 

ただ、僕にはその落胆こそ羨ましく思う。

GW中はBBQを横目に出勤し、なんでもない日に休みをもらい手持ち無沙汰になる時、なんとも言えない孤独感を感じるのだ。

そんなことも世の中あるのだ。

こんびたろう

夜勤明けの日は元々芳しくない頭の回転が更に悪くなり、代わりにいつもの2割り増しで余計なことを考えるようになる。

 

今日は「こんびたろう」というワードが頭から離れなかった。

かつてどこかで聞いたことがあるけど、それが何か思い出せない。

 

しかし最近は便利なもので、単語さえ思い出せればその単語の持つ意味や事柄を容易にインターネットで調べることができる。

 

さっそくこんびたろうを調べたところ、どうやら童話のようだった。

多分小学校か何かで習ったのだろう。

更に内容まで調べると、以下のようなあらすじだった。

 

"この物語の主人公の名である垢太郎(あかたろう)・こんび太郎の名でも知られる。この物語は長らく入浴していなかった老夫婦の入浴シーンから始まり、この二人の剥がれ落ちる大量のこんび(垢)を固めて人形を作ることから始まる。

垢で人形を作ってしばらく放置しておくと、その人形に命が芽生え、立派な一人の人間の子供になったという。その子供は男の子であったため、生みの親である老夫婦は彼を「垢太郎」と名づけた。ここからこの物語は垢太郎が主人公となり進められていき、旅の途中に御堂コ太郎と石コ太郎と出会い、戦い、家来にしながら最終的に長者の娘を生贄につれていこうとした鬼(ただの化け物とする説もあり)を退治するというものである。"

(wikipedia調べ)

 

この物語、かなりヤバくないだろうか。

まず風呂に入れないレベルの貧民の老夫婦の入浴シーンから始まるのもヤバいし、大量に出た垢で人形を作るとかサイコの極みではなかろうか。

更にそのネーミングセンスである。

もはやこの老夫婦サイコパスとしか考えられない。

 

映画化すれば良くてR15指定、国によっては発禁処分の可能性もあるぐらいのイカれ具合だと思う。

 

そんなサイコ物語、どうやら僕達が小学校低学年の頃の教科書に載っていたようです。

サイコ物語で教育を受けた世代の僕達は、秘めたる狂気を孕んだまま社会に入り込んでいるのです。

そんなホラー話。

無職

無職だと思われていることがある。

だいたいは長いこと実際に会っていない知人友人である。

実際、無職だったり転職を繰り返したりしていたのでイメージを持たれているのは仕方ないが、さすがに三年も同じところに勤めているのにまだ無職疑惑持たれてることは非常に残念である。

 

どうやら、長いこと会っていない友人はSNSを見て僕を判断しているようだ。

海外旅行に頻繁に行くので、そう見えるらしい。

しかし、実際はその裏で極めて地味な仕事を毎日こなしているのである。

 

これは自分にも言えることで、SNSの投稿が華やかな羨ましい人たちも、その実は見えていない部分で地味で普通の生活を送っているのかも知れない。

スーパーで買い物もするし、排水溝の掃除もするのである。

だって人間だもの。