油掛地蔵
戦後の無計画な宅地化が原因と思われるのだが、大通りを一本入ると意味がわからないぐらい道が細く入り組んでいる。
袋小路も多くあり、イメージした場所に出られなかったり、位置を見誤ったりすることがしょっちゅうある。
整然と区割りのされた京都の市街地とは全く別の概念なのだ。
統一性がなく秩序立っていないゴチャゴチャとした建込みかたも、土地があまり平坦でないことも、その怪奇を際立たせる一因となっている。
そんな太秦の某所に「油掛地蔵」というのが立っている。
らしい、というのはその姿が確認できないぐらい分厚く油がこびりついているのである。
東山三条の老舗中華飯店「マルシン飯店」の換気扇ですら、このギトギト加減には遠く及ばない。
どす黒く照りのついたその姿は神仏には見えず、どちらかというと怨念めいた姿をしている。
なんでも油を掛けるとご利益があるとかで、かなり古くから油を掛けられ続けた結果、今日の見るも無残不気味な姿になったらしい。
現代では無尽蔵に手に入る油も、その昔は貴重だったはずだ。
その油をお供えするというのなら理解もできるものだが、なぜ掛けてしまったのだろうか?
油をもらえて喜ぶ人はいるだろうが、油を掛けられて喜ぶ人はまずいないだろう。
場合によっては刑事案件である。
僕ならとりあえず殴る。
どう考えても仏像に対する嫌がらせとしか思えない行為を、貴重な油を使って何百年もやり続けるセンスもわからなければ、それでご利益があると解釈できる思考回路もイマイチ理解しがたい。
さらにこの油掛地蔵、夜間は照明が着いていて下から煽り気味の光源が黒い照りを一層強調させ、不気味さ加減が倍増している。
なぜこんなことをするのか意味がわからない。