下京区コンプトン

下京区コンプトンに住んでいました。

暴れ観音

祇園祭の催事で唯一足を運んだのは、暴れ観音という催しだった。

 

後祭の前夜遅くに南観音山の御神体が布でぐるぐる巻きにされて神輿で担ぎ出される。

それをいなせな若い衆たちが威勢のいい掛け声とともに振り回すのである。

「振り回す」という表現は決して誇張でも比喩でもなく、文字通り振り回している。

町内の翁曰く、昔はもっと過激に振り回していたらしく、仏像の首が取れることもあったそうな。

 

基本的に京都らしいチンタラ加減でダラダラ行われる祇園祭では、珍しくエキサイトする部類の催しである。

 

友人とも話していたのだが、世の中にあるこのような奇祭はどう考えても昔の不良が悪ノリで始めたとしか思えないものがある。

 

仮説だが、その昔手のつけられないカリスマ不良があのあたりに住んでて、仲間と悪ノリで仏像を持ち出したのが起源なのではないだろうか。

後発の若い衆もそれに習って毎年真似したため、今では謎の奇祭として残っている。

そんな気がしてならない。

 

そもそも祭りというのはノリと集団心理が年月をかけて神事化したようなものだし、そういう意味では祭りの正しい成り立ちなのかも知れない。

 

僕たちが昔悪ノリでやった奇行も、それだけが形骸化して残ればいつか祭りになるのだろうか。

自炊

自炊をよくする。

趣味というよりも必要に駆られてのことである。

一人暮らしでお金もそんなにないけど、ちゃんとした食事を三食しっかり食べたいとなると自炊以外に選択肢はない。

 

自炊は主に母親の真似事から始まって今に至るが、男が当然のように料理をするという概念を教わったのはバイトしていたラーメン屋の店長だった。

 

賄い付きだったそのラーメン屋では、暇な時にメニューにない料理を作ってくれることがあった。

だいたいは店長が片手間で作ってくれるもので、少ない材料を工夫してバリエーションを作ってくれていた。

 

店長は僕に

「これからは男も料理ができなあかん、女に胃袋掴まれるんやなくて、逆に掴んだるんや」

と言っていた。

 

残念ながら掴まれるチャンスも掴むチャンスもほとんどなく現在まで来てしまったが、「自活する」「少ない材料で工夫をする」という概念は現在でも役に立っている。

 

たまに手抜きもするけど、自ら美味しいものを作れるのはなかなかスキルだ。

 

 

 

チェスターが死んだ

朝起きたらチェスターが死んでいた時点から、今日の不幸は始まってた。

言わずと知れたリンキン・パークのボーカルである。

彼の自死が今日の始まりだった。

 

所用を済ませて家を出ると雨が降った。

仕事で使う資材が売り切れていた。

勉強がはかどらない。

仕事でトラブった。

 

どれもこれもチェスターが死んだことが引き金に思われてきた。

それだけチェスターの死は大きな不幸だった。

 

でも良い出会いもあったし、同僚と楽しい話も弾んだ。

最終的に決して不幸ではない今日だったが、それでも今日を振り返ると、彼の死が暗く頭を擡げるのである。

 

やっぱり死んでしまうのは悲しいことだし、自分で死んでしまったのなら尚更だ。

 

なるべく、生きていたいと思う。

祇園祭

気づけば祇園祭のメインイベントもあらかた終わった。

思えば今年は祇園祭とほとんど関わらなかった。

下京区コンプトンから近いところにも縁日が出ていたようだが、連日出勤で行く暇がなかったのだ。

宵山は行けそうだったが、後輩が病に倒れ急遽夜勤を交代したため、忙殺されてる間に山鉾巡行まで終わっていた。

毎年、万事この調子である。

 

かつて一度だけ、山鉾巡行にボランティアで参加したことがある。

ボランティアは各山鉾にランダムに割り振られるが、僕が担当したのは黒主山という山だった。

山の上に翁の人形と桜の乗った山で、四方にかかった中国か琉球伝来の織物が大変見事だった。

 

ボランティアは当日朝早くに集められ、衣装への着替えを促された。

ボランティアは事前に白の下着を着用するように指示が出ている。

白のパンツなど小学校以来履いていないため、わざわざ買った。

その後、当日の段取りを軽く打ち合わせたあと清めのお酒をもらって出発した。

酒のおかわりはもらえなかった。

 

一般に山曳きの一番の難所は河原町御池と四条河原町で行われる「辻回し」だと思われている。

しかし、実際のところ最も神経を使ったのは大通りまで山を出す作業だった。

黒主山は高い位置に松が据えられており、比較的背の高い山である。

それゆえ、狭い路地の二階三階に渡された電線に引っかかってしまうのだ。

電線をくぐるたびに停止、徐行を余儀なくされ、体力も消耗するしとてもストレスフルであった。

 

何度か電線をくぐると、明らかに最大の難所であろう電線が見えてきた。

どう考えても低すぎるのである。

しかし、再三の停止が祟り時間も押してきている。

突破するしかない。

 

結果、電線をなるべく引き上げた上で松を張力の限界まで曲げることになった。

曳き手たちは力を合わせ、山は微速前進を始めた。

 

中程まで進んだ時、上に登っていた男が叫んだ。

「ストップ、ストーップ!あっ」

 

パキンという小気味のよい音とともに、松は派手に折れた。

曳き手たちの上に松の葉がバラバラと崩れ落ち、切ない気持ちを引き立てた。

 

その後は非常にスムーズに進んだ。

松は両断に近い折れ方をしていたので、高さが急激に低くなったのだ。

 

楽にはなったが、鉾町全体の士気が明らかに下がっていた。

みんな口には出さないが、言い知れぬ不吉を感じていたに違いない。

 

その後、路地を抜けきった後に松を針金で補修し、なんとか見た目だけは見繕うことができたため、巡行は滞りなく行われた。

 

 

きっとこれまでも、これからも、滞りなく行われる巡行の裏には無数のドラマが生まれるのだろう。

そうして、京都の夏は深まっていくのだ。

 

銭湯

以前にも書いた気がするが、銭湯によく行く。

コンプトンの風呂が極小ユニットなため、足を伸ばして風呂に浸かりたいのだ。

単純に風呂が好きなのもあるが、体調管理という側面も大きい。

仕事の関係上、非常に不規則な勤務形態のため、身体に負担がかかりやすいのである。

なんとなくやる気が出ず、身の回りのこともだらしなくなっている時はたいてい身体の疲れが原因である。

そういう時とりあえず銭湯でゆっくり風呂に浸かると、テキメンとは行かないが随分楽になるし、寝つきも良い。

 

最近は色々な情報が錯綜し、あれが身体に良い、これをすると病気になるなど、何を信じていいのかわからなくなる。

だが少なくとも風呂に入るとダメというのは聞いたことがないので、風呂は絶対正義に違いない。

対して金がかかるわけでもないので、極力風呂に入る事が一番簡単なセルフケアだと思う。

 

ところで、京都の銭湯には富士山の絵がない。

居住環境の関係か、小さく天井が低い銭湯が多いので、タイル貼りの鮮やかさで色目を出しているようだ。

いわゆる銭湯、というイメージの富士山は関東の文化のようである。

 

随分本物を見る機会がなかったが、先日五反田で銭湯に行った時はたいそう立派な富士山を見る事が出来た。

その銭湯は三階建ぐらいの天井高があり、窓から差し込む遮光がとても綺麗に富士山を照らしていて、とても気分が良かった。

一見の価値があるので、まだ見たことのない人は上京時に古い銭湯に行くことを強くオススメする。

 

計画

基本的に怠惰である。

決めたことはやらないし、習慣づけようと思ってもほとんど続かない。

思えば小4あたりから宿題をやった記憶がなく、マトモに勉強するのはテスト前だけ。

大学を出るまで万事その調子で、適当に体裁を見繕ってやってきた。

そして今そのツケを払っている次第である。

 

無計画と適当の極みだっため、長期的スケジュールというのを組みはじめたのもごく最近である。

これが大変に難しい。

 

夏休みの計画表というのは、今考えると一番大事な宿題だったと思う。

自分の力を見極めた計画を立て、毎日地道に実行し、折を見て調整しながら目標に到達する。

あんなこと子供に出来るわけないと思っているが、意外とみんな努力はしていたのかも知れない。

 

そんなわけで本日長期スケジュールを見直したところ、資格試験まで二ヶ月を切っていることに気づいた。

おまけにこの期間、個人的な企画ごとや会社のイベントの準備など、かなりのタスクを同時並行でこなす必要があることも発覚した。

現時点でかなり厳しい。

 

しかし、気づいただけ良いだろう。

昔ならそのまま進んで確実に全て爆死しているし、その後爆死するのが怖いから挑戦しないという悪循環だった。

曲がりなりにも爆死しない算段があったから、色々仕掛けて挑戦している訳だし、やればなんとかなるだろう。

もちろん、やればだけど。

 

進みは遅いかもしれないが、仕方ない。

進まないよりよっぽどマシである。

 

まあなんと言うか、頑張ってやっていきましょう。

 

道中より

スーツを着るのは苦手だ。

冠婚葬祭以外で着ることがないため、大変に準備に時間がかかる。

 

スーツを着るときはまずアイテム探しから始まる。

最後に着たのが半年前なんてこともザラなので、スーツ、シャツ、ベルト、靴、ネクタイ、腕時計、あらゆるものの所在がわからなくなっている。

今回もベルトの所在がわからず、普段使っているものを使わざるを得なかった。

万事この調子なので、洒脱なスーツスタイルなんて格好がつくはずもなく、なんとか体裁を保つのがやっとである。

 

おまけにスーツは成人式から同じ一張羅、靴は普段は履きにも使っているサービスシューズだ。

大手広告代理店やマトモな会社勤めの人間が多いであろう今回の祝宴に、このナリで顔を出すのは少々気がひける部分がある。

やはりそろそろスーツぐらい買い換えるべきであろうか。

せっかくならテーラーで自分に合ったものを全身揃えで仕立ててもらおうと思っていたが、結局やらないままに数年が経とうとしている。

 

まあよく考えると、今回僕の格好を視界に入れるような人間はごく限られている。

友人は僕がそういう人間だということは知っているはずだし、特に気にすることもないだろう。

きっと奥さんも寛容な人だろう。

そう願いたい。

 

今、友人の結婚式の二次会に向かっている。

前々から結婚したいと宣っていたので、本当に良かったと思う。

 

蒸し暑いけど天気は良いし、きっと素敵な祝宴になるだろう。

普段はリア充爆発しろとばかり思っているけど、たまには幸せな2人を見るのも良いではないか。

ましてそれが友人ならなおのことである。

 

祝宴の道中、車窓から見える西日に輝く煙突の群れを見ながら、そんなことを考えている。

 

友よ、おめでとう。