祇園祭
気づけば祇園祭のメインイベントもあらかた終わった。
思えば今年は祇園祭とほとんど関わらなかった。
下京区コンプトンから近いところにも縁日が出ていたようだが、連日出勤で行く暇がなかったのだ。
宵山は行けそうだったが、後輩が病に倒れ急遽夜勤を交代したため、忙殺されてる間に山鉾巡行まで終わっていた。
毎年、万事この調子である。
かつて一度だけ、山鉾巡行にボランティアで参加したことがある。
ボランティアは各山鉾にランダムに割り振られるが、僕が担当したのは黒主山という山だった。
山の上に翁の人形と桜の乗った山で、四方にかかった中国か琉球伝来の織物が大変見事だった。
ボランティアは当日朝早くに集められ、衣装への着替えを促された。
ボランティアは事前に白の下着を着用するように指示が出ている。
白のパンツなど小学校以来履いていないため、わざわざ買った。
その後、当日の段取りを軽く打ち合わせたあと清めのお酒をもらって出発した。
酒のおかわりはもらえなかった。
一般に山曳きの一番の難所は河原町御池と四条河原町で行われる「辻回し」だと思われている。
しかし、実際のところ最も神経を使ったのは大通りまで山を出す作業だった。
黒主山は高い位置に松が据えられており、比較的背の高い山である。
それゆえ、狭い路地の二階三階に渡された電線に引っかかってしまうのだ。
電線をくぐるたびに停止、徐行を余儀なくされ、体力も消耗するしとてもストレスフルであった。
何度か電線をくぐると、明らかに最大の難所であろう電線が見えてきた。
どう考えても低すぎるのである。
しかし、再三の停止が祟り時間も押してきている。
突破するしかない。
結果、電線をなるべく引き上げた上で松を張力の限界まで曲げることになった。
曳き手たちは力を合わせ、山は微速前進を始めた。
中程まで進んだ時、上に登っていた男が叫んだ。
「ストップ、ストーップ!あっ」
パキンという小気味のよい音とともに、松は派手に折れた。
曳き手たちの上に松の葉がバラバラと崩れ落ち、切ない気持ちを引き立てた。
その後は非常にスムーズに進んだ。
松は両断に近い折れ方をしていたので、高さが急激に低くなったのだ。
楽にはなったが、鉾町全体の士気が明らかに下がっていた。
みんな口には出さないが、言い知れぬ不吉を感じていたに違いない。
その後、路地を抜けきった後に松を針金で補修し、なんとか見た目だけは見繕うことができたため、巡行は滞りなく行われた。
きっとこれまでも、これからも、滞りなく行われる巡行の裏には無数のドラマが生まれるのだろう。
そうして、京都の夏は深まっていくのだ。