下京区コンプトン

下京区コンプトンに住んでいました。

風呂の思い出

朝早くに高知市を出たにも関わらず、愛媛八幡浜についた頃にはもう日も傾き始めていた。
大型バイクならもう少し早く着いただろうが、峠を越えるのもやっとのポンコツ原付では、むしろよく走れたほうだなと思った。

その日僕は九州別府を目指していた。
大分大に通う友人から飲み会の誘いを受けたことで、四国を無茶な行程で走り抜けることを決意し、長い長い道のりをあまり休憩もせずに走ってきたのだった。

ここ八幡浜からは、大分の臼杵までフェリーが出ている。臼杵から目的地までは遅くても1時間ほどでたどり着ける距離だった。
佐多岬まで行けば目的地にに近い場所まで行けるフェリーもあったが、朝からの無理のし通しでそれ以上原付に乗る気にならなかった。

間の悪いことに、到着する直前に船が出てしまったようで、次の船は2時間後とのことだった。
フェリー乗り場には、古びた待合椅子と自販機の他には何もない。
とりあえず切符を買って外に出た。

港町は、いかにも四国の果ての過疎地といった風情だった。
潮風にくたびれた家々に八月の強烈な西日が差し込み、動くものは腰の曲がった老人と海猫、あとは波が防波堤に当たるちゃぷちゃぷという音だけが海側から微かに聞こえていた。

自販機でジュースを買って一服したのちに「風呂に行こう」と思い当たったのは、町の入り口あたりでそんな建物を見た気がしたからだと思う。
港から町の方にバイクを走らせると、やはりそれらしき煙突が見えてきた。煙も出ている。

港で見た家々に負けず劣らず古びた建物だったが、妙に立派に見えたのは建物全体が薄いウグイス色で塗られていたからだろう。
いい風格だった。町が経験した色々を一身で受け入れてきたという風格があって、この建物好きだなと思った。

設備はなんということのないローカル銭湯だが、風呂場は屋根が高くて開放的だった。
高窓から入ってくる西日が天井や壁で乱反射して、風呂場全体をキラキラと照らしているのがなんとも美しい。
その風呂場の中心に真ん丸の浴槽があり、緑色の湯が湯気を吐き出している。

シャワーで体を流し、ざぶりと浸かる。
真夏の直射日光と長時間の運転で強張った身体が段々にほぐれていくのを感じた。
種田山頭火の句で「朝湯こんこんあふるるまんなかのわたし」というのがあったけど、あれはまさにこんな気分だったんじゃないだろうか。
そういえばあの句は同じ愛媛で読まれた句だった気がする、確か道後温泉だったけど。

そんなことを考えていると、漁師風の老人が話しかけてくる。
どこから来てどこへ行くのか、通りいっぺんのことを話すと老人は「そうか、そうか、若いな」と言って笑ってくれる。

長湯でのぼせた身体を脱衣所でクールダウンしていると、老人がフルーツ牛乳を買ってくれた。
にいちゃん頑張りやと真っ黒に日焼けした顔で微笑んで、去っていった。
からっとしたいい笑顔だった。
もらったフルーツ牛乳は、港に戻って海を眺めながら飲んだ。

フェリーの座敷で横になりながら、八幡浜のことを考えた。
多分もうここにくることはないだろうし、あの町の様子を見ると、きっとあの銭湯もあと数年ももたないだろう。
ただ、たったそれだけの思い出なのに、大変に素敵な町だった。そう思った。



もう10年以上前のそんな思い出が蘇って来たのは、前日カフェで手にとった地方銭湯の特集だった。
なんと、件の八幡浜の銭湯がまだ営業しているらしい。
正確には一度閉めたらしいが、改修を入れて再オープンしたそうだ。
しかも2階でゲストハウスまでやっているらしい。

もう日本を離れるまでそう日がないが、なんとか行けないものか。
最近ずっとそんなことを考えている。

「大正湯」
〒796-0088 愛媛県八幡浜市1132−13
https://www.facebook.com/taisyoyu/