暴れ観音
祇園祭の催事で唯一足を運んだのは、暴れ観音という催しだった。
後祭の前夜遅くに南観音山の御神体が布でぐるぐる巻きにされて神輿で担ぎ出される。
それをいなせな若い衆たちが威勢のいい掛け声とともに振り回すのである。
「振り回す」という表現は決して誇張でも比喩でもなく、文字通り振り回している。
町内の翁曰く、昔はもっと過激に振り回していたらしく、仏像の首が取れることもあったそうな。
基本的に京都らしいチンタラ加減でダラダラ行われる祇園祭では、珍しくエキサイトする部類の催しである。
友人とも話していたのだが、世の中にあるこのような奇祭はどう考えても昔の不良が悪ノリで始めたとしか思えないものがある。
仮説だが、その昔手のつけられないカリスマ不良があのあたりに住んでて、仲間と悪ノリで仏像を持ち出したのが起源なのではないだろうか。
後発の若い衆もそれに習って毎年真似したため、今では謎の奇祭として残っている。
そんな気がしてならない。
そもそも祭りというのはノリと集団心理が年月をかけて神事化したようなものだし、そういう意味では祭りの正しい成り立ちなのかも知れない。
僕たちが昔悪ノリでやった奇行も、それだけが形骸化して残ればいつか祭りになるのだろうか。