下京区コンプトン

下京区コンプトンに住んでいました。

登戸駅にて

仕事を辞め、海外を転々とする生活を送っていた。

いくつかの国を巡り、3カ月ほどしたところで、やむを得ない事情で日本に一時帰国することになった。

 

久々の日本は相変わらずだった。

清潔で正確で、静かで老人が多いいつもの日本だった。

 

親戚に会い、親に会い、友人に会った。

 

友人に会った帰りの登戸駅で、僕は突然動けなくなってしまった。

改札口から出入りする人から目が離せなくなってしまったのだ。

 

時刻は夕方5時のぐらい。

会社帰りのリーマンや、買い物袋を下げた主婦、友達とふざけながら歩く女子高生。

いつもと変わらない日本の日常、自分が生きてきて今まで見てきた日常から目が離せなくなってしまった。

 

僕はこの中に戻って来れるだろうか。

この流れの中に、このスピードに、このリズムに、また戻ることができるだろうか。

しばらくの間この社会から切り離された僕は、この国の日常がすっかり掴めなくなってしまった気がする。

心には荒涼とした風がごうごうと響き、大事な荷物を失くしてしまった時の時のように呆然と突っ立ているままどうすることもできなかったのだ。

 

たくさんの人が改札に入って行ったし、たくさんの人が出てきた。

僕はそれをただ見ていることしかできなかった。

 

やっと一歩を踏み出した後も、違和感は続いていたし、今も続いている。

どうしていいかもわからないし、どうすることもできないだろう。

 

また僕はしばらく旅をする。

そう遠くなくこの国に戻ってくるだろう。

ただ、また心に吹き込んでくるであろうこの処置のしようがない違和感を、僕はどうすればいいかわからない。

 

 

インド料理屋

インド料理屋

 

あまり流行ってないマンションの一階とかに入ってる

 

だいたい店員がそのマンションに住んでる

 

店の色が派手なオレンジ

 

店の看板が引き伸ばしコピー

 

店の看板がラミネート

 

店の看板の画質が荒い

 

居抜き物件に色塗っているので、うっすら前の店の面影がある

 

無駄に店が広い

 

店の前でチラシ配ってる

 

チラシに割引券ついてる

 

受け取ってくれる人が少ない

 

かわいそうだからチラシもらってしまう

 

チラシ配ってないときはカウンターに座ってスマホいじってる

 

スマホいじってるときにお客さん来ると少しうろたえる

 

店内インドの音楽かかってる

 

たまに英語っぽいけど1ミリも聞き取れない歌がかかる

 

店の壁に聞いたことないメーカーの液晶テレビかけてある

 

画質が荒い

 

色が悪い

 

だいたい大勢で踊ってるPVかかってる

 

店内にかかってる音楽とPVが別

 

無駄に席がでかい

 

メニューの画質が荒い

 

A/B/Cセットがある

 

ビリヤニもある

 

でもビリヤニはだいたいビリヤニっぽいカレーチャーハン

 

カレーが選べる

 

日替わりカレーがある

 

でも何回か行くとバリエーションがそんなにないことに気づく

 

飲み物も選べる

 

デモ、ラッシーハ別リョウキン、ゴメンネ

 

ナンおかわり自由

 

辛サハ?

 

辛口カライヨ?ダイジョブ?

 

インドノ辛サダヨ?ダイジョブ?

 

でもだいたい出身はネパール

 

サラダだけめっちゃ出てくるの早い

 

だいたいオレンジのドレッシングかかってる

 

ナンがでかい

 

皿よりでかい

 

先っぽのほうテーブルに着地する

 

まずおかわりできない

 

謎のスープもサービスしてくれる

 

カレー辛い

 

スープ熱い

 

しかも辛い

 

店員がこっち見てニヤニヤしてる

 

ナンとカレーの配分いつもミスる

 

カレーがやや残る

 

ナンオカワリ、ダイジョブ?

 

ナンオカワリ無料、ダイジョブ?

 

食後drink,OK?

 

微妙にまだ食べてるときに食後のドリンク出てくる

 

食べ終わると、むこう一ヶ月はインドカレーいらないかなって気持ちになる

 

Bセット、980エン

 

レジ横に割引チラシおいてあるけど、なぜか渡してくれない

 

アリガトゴザイマス、マタキテネ

 

だいたい10日以内にまた行っちゃう

 

ヒサシブリダネ

靴下

結構前から、靴下には並々ならぬこだわりがある。

 

きっかけは登山靴下を買ったことから始まる。

それまで靴下はほとんど金をかけず安いもの命、ユニクロ以下のものを平気で履いてたが、いかんせんすぐ破れたり履けなくなるのが気に入らなかった。

そんな中登山をするようになり、しっかりした靴下が必要になった。

登山靴下はそれ自体にクッション性をもたせたり、発汗性や保温性を兼ね備えた高機能靴下だ。

当然、金額もユニクロのそれに比べると5~10倍違う。

 

なかなか買う勇気が起こらなかったが、登山時の足のムレと靴ずれが尋常ではなかったので、意を決してとりあえず一足買うことにした。

 

山屋でいろいろ悩んだ結果、アメリカのメーカーで

「破れたら永久保証」という強気すぎるキャンペーンを打っている

「ダーンタフ」というメーカーのものを選んだ。

 

ダーンタフ Ms 1405 ブーツ フルクッション BK 19441405001 M

ダーンタフ Ms 1405 ブーツ フルクッション BK 19441405001 M

 

 

 

もう、別世界。

すべての冷えに悩んでいる人達に履いてほしいレベル。

メリノウールという高いウールを使っているので、恐ろしく暖かいのである。

これを履きだしてから、足が芯から冷え切るということがなくなった気がする。

 

高い靴下の魅力にとりつかれた僕は、更に何足も買い足して秋~春まで履き回している。

 

長いものは4年使っているが、全然現役で履けるぐらい丈夫である。

コスパでいうとユニクロ履きつぶすのと対して変わらないので、財布にも実は優しい。

長期的コストカットは大事だ。

 

同時にこれは夏用靴下にも言えることで、いいものはやはり長持ちする。

高いものに金を使うことは、結果的に金を使わずにすむのかも知れない。

 

 

タコライス

沖縄が好き、あるいは住んでいた経験がある人はわかると思いますが、沖縄料理を衝動的に食べたくなることが、まあ時々あるわけです。
沖縄料理は結構味が濃く、がっつりしたものが多いので、たまにジャンクフードを食べたくなる衝動と似ていると思います。
 
最近は沖縄料理の店も増え、そういった衝動に応えられる気の利いたお店もちらほら出てきましたが、どうしても再現しきれていないものが一つあります。
それがタコライスなのです。
 
タコライスなんかそのへんのカフェでも出しているじゃないかと思う方もあると思いますが、それは全く見当違いなアドバイスであります。
実のところ、あれはタコライスではありません。
タコライスに似せた何か」です。
異論は認めません。
 
本物と何が違うかと言うと、まず決定的なのは量です。
 
そもそもタコライスは米国海兵隊基地の街、金武町で開発されたメニューでありまして、屈強な海兵隊や軍属、基地や港湾で働く肉体労働者の腹を満たすことを目的に作られております。
必然、その量は多く、味はわかりやす濃く、腹に溜まるというものに仕上がっていきます。
内地(沖縄県外のこと)のカフェで提供されているそれとはそもそもの運用思想や成り立ちが違うわけであります。
タコライスブルーカラーソウルフードといえるものであり、決してオフィスでパソコンを叩く頭脳労働者やOLの小腹を満たすような生易しい代物ではないのです。
 
一般的に内地で供されているものは、中ぐらいのボウル皿やカレー皿に盛られて出てきますが、
本物のタコライスは長辺が30センチはあろうかというフチの低い平皿または丸皿に盛られています。
 
まずその平皿に敷き詰めるように白米が盛られます。
皿の上に余白は一切ありません。
余すところなくしっかりと飯が敷き詰められます。
その上からタコスミートをかけ、その上にいかにもアメリカ的な黄色い千切りチーズを乗せます。
さらに上から暴力的な量のレタス、一個分はあろうかというざく切りのトマトを乗せ、標高10~15cmほどの山が皿の上に出来上がったら完成です。
この上に辛いサルサソースを好きなだけかけて食します。
食べ始めたら一心不乱に、黙々と腹に収めていくのが正しい食し方です。
 
味の面でもタコライスと内地のそれには圧倒的違いが有ります。
本当のタコライスは、実に基本に忠実なのです。
正統派のタコライスを提供する店は県内にチェーンで数種類あるのですが、どこしっかり濃く、辛く、ジャンクな味がします。
内地のそれは量の問題を外しても、変にアレンジを効かせようとするので、かえってコレジャナイ感が強くなるのです。
ソースを甘くしたり、マヨネーズかけたり、アボカド乗せたりなどはもっての他です。
 
タコライスは王道を外さないからこそタコライスなのであり、
そこに何かを加えたり減らしたりすることはありえません。
オムライスにしてみるなどもっても他なのでございます。
 
内地に帰って7年になりますが、いまだに内地に真のタコライスが進出する気配はありません。
そろそろキングタコスあたりに頑張ってもらいたいところでございます。
 

油掛地蔵

右京区太秦は複雑怪奇としか言いようがない。

戦後の無計画な宅地化が原因と思われるのだが、大通りを一本入ると意味がわからないぐらい道が細く入り組んでいる。

袋小路も多くあり、イメージした場所に出られなかったり、位置を見誤ったりすることがしょっちゅうある。

整然と区割りのされた京都の市街地とは全く別の概念なのだ。

統一性がなく秩序立っていないゴチャゴチャとした建込みかたも、土地があまり平坦でないことも、その怪奇を際立たせる一因となっている。

 

そんな太秦の某所に「油掛地蔵」というのが立っている。

元々は地蔵ではなく阿弥陀如来からしい。

らしい、というのはその姿が確認できないぐらい分厚く油がこびりついているのである。

東山三条の老舗中華飯店「マルシン飯店」の換気扇ですら、このギトギト加減には遠く及ばない。

どす黒く照りのついたその姿は神仏には見えず、どちらかというと怨念めいた姿をしている。

なんでも油を掛けるとご利益があるとかで、かなり古くから油を掛けられ続けた結果、今日の見るも無残不気味な姿になったらしい。

 

現代では無尽蔵に手に入る油も、その昔は貴重だったはずだ。

その油をお供えするというのなら理解もできるものだが、なぜ掛けてしまったのだろうか?

油をもらえて喜ぶ人はいるだろうが、油を掛けられて喜ぶ人はまずいないだろう。

場合によっては刑事案件である。

僕ならとりあえず殴る。

 

どう考えても仏像に対する嫌がらせとしか思えない行為を、貴重な油を使って何百年もやり続けるセンスもわからなければ、それでご利益があると解釈できる思考回路もイマイチ理解しがたい。

 

さらにこの油掛地蔵、夜間は照明が着いていて下から煽り気味の光源が黒い照りを一層強調させ、不気味さ加減が倍増している。

なぜこんなことをするのか意味がわからない。

全く、右京区太秦は複雑怪奇である。

ヘリノックスチェアワンは布地だけで買える

キャンプ好きにとってヘリノックスチェアワンはもはや欠かせないアイテムとなりつつある。

チェアワンとは、端的に言えばものすごく快適で軽いアウトドア椅子である。

屋外のイベントなどに行けばほぼ確実に見ることができる、やや重心の低いアレのことだ。

 

Helinox(ヘリノックス)公式サイト

 

キャンプ場では盗難が多発し、アマゾンでは出自の怪しい偽物が乱立するほどの人気ぶりである。

もちろん僕もかつて自分のチェアワンを所有していた。

過去形になっているのは今は無いからである。

 

キャンプ椅子の金字塔ともいえるこのアイテムにも欠点が無いわけではない。

あまりにも軽すぎるのである。

軽い上に表面積が大きいため、風に大変弱い。

 

・ちょっと席を離れたスキに、突風にあおられて崖下へ投身。

 

・トイレに立っている間に、横風に流されて入水→濁流に飲まれて行方不明。

 

など、とにかく油断すると勝手に自殺する過激な椅子なのである。

 

 

僕のものなど特に過激で、コーヒーを淹れている間に例の如く風に煽られて転倒。

運悪く倒れた先が焚き火の上だったため、気づいた時にはティック・クアン・ドック氏みたいになっていた。

ティック・クアン・ドック - Wikipedia

 

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのファーストアルバムのあの人みたいになっていたのである。

www.youtube.com

 

悲鳴をあげて懸命な消火活動をするも、

布地の致命的な部分を消失したうちのチェアワン氏(バートンコラボ限定品)は、

骨組みを残して破棄される結果となった。

 

さて、ここからが表題のお話になっていく。

10月に長期間旅をするのとフェスに行くのが重なり、どうしても椅子が必要になってきた。

そこでチェアワンの復活を考えたが、都合12,000円もする椅子をもう一度買い直すのも、いささか不経済である。

 

そこで考えるのは骨組みの残っているチェアワンを布地だけ買い直す方法だ。

しかし、ネットではどこを探しても販売していない。

 

安い偽物を買って布地だけ取り外すことも考えたが、著作権の関係か寸法が微妙に合わなくなっているようだった。

 

この問題を解決したのは、もっとも単純な方法だった。

アウトドア用品店のお兄さんに相談したのである。

 

お兄さんいわく

 

・布地だけなど、パーツでの発注は可能(ただし在庫は薄い)

・日本の代理店はモンベル

・価格は3,700円+税金+送料 

・在庫があれば一週間~10日で入手可能

 

とのことだった。

モンベルに行けばもう少し安いのかもしれないが、その場で発注した。

 

あまりいないかも知れないが、

愛する椅子が焼身して傷心の諸兄は、ぜひ活用してほしい。

 

颱風

沖縄では、台風の夜はみんな飲みに出かけるということを教えてくれたのは、

短い期間現地で付き合っていた年長の彼女だった。

 

確かに、ニュースが「猛烈な」と形容するような台風が来ている夜も、

那覇の繁華街は変わらず賑やかだったように思う。

むしろ、店のひとつひとつの中の熱気はいつも以上の、すこし異様な熱気があったようにも思える。

もちろん、暴風吹き荒れる通りを歩く人など皆無である。

ただ、その通りを飾る店々は、煌々と明かりをつけて商売をしているのだ。

 

沖縄の台風は凄まじい。

はっきりいって、関西で体験するものなどお話にならないレベルだ。

車を横倒しにし、信号を吹き飛ばし、樹を根こそぎ折り曲げ、文明生活に必要なインフラをことごとく奪っていく。

時には、運の悪い人間の命をも奪うのである。

 

そんな直下に飲みに出ると、どこかのタイミングで店に閉じ込められてしまうときがある。

外はとても歩けないし、タクシーを呼んでも店からの数メートルでずぶ濡れになってしまうのだ。

 

こうなったら風雨が落ち着いてくるまで、飲み続ける他ない。

バーには、似たような境遇の人たちがカウンターにへばりついていた。

これ以上、誰も入ってこないし誰も出られない。

 

即席の密室空間には、知っている人も知らない人もいたが、なぜかいつもより話がはずんだ。

妙な安心感と高揚感が漂っていた。

少なくとも僕は、うら寂れたボロアパートでひとり風雨の音を聞いているよりよっぽど安心した。

他にいる人たちも、一様に状況を楽しんでいるように思えた。

時折電気が不安定になったり、遠くで物の壊れる音が聞こえても、それを肴に一層杯が進んでいるようにも感じた。

 

知らないもの同士が結びつくきっかけは、同じ場所や経験を共有することにあると思う。

台風直下のバーには、まさにそれが揃っていた。

いつものバーとは違う濃厚な空気が、僕にはとても心地よく感じられた。

 

もう沖縄を出てずいぶん経つが、もしまた沖縄を訪れて、それが台風直下だったとしたら、あのバーを訪ねたいなと思うのである。