下京区コンプトン

下京区コンプトンに住んでいました。

ヘリノックスチェアワンは布地だけで買える

キャンプ好きにとってヘリノックスチェアワンはもはや欠かせないアイテムとなりつつある。

チェアワンとは、端的に言えばものすごく快適で軽いアウトドア椅子である。

屋外のイベントなどに行けばほぼ確実に見ることができる、やや重心の低いアレのことだ。

 

Helinox(ヘリノックス)公式サイト

 

キャンプ場では盗難が多発し、アマゾンでは出自の怪しい偽物が乱立するほどの人気ぶりである。

もちろん僕もかつて自分のチェアワンを所有していた。

過去形になっているのは今は無いからである。

 

キャンプ椅子の金字塔ともいえるこのアイテムにも欠点が無いわけではない。

あまりにも軽すぎるのである。

軽い上に表面積が大きいため、風に大変弱い。

 

・ちょっと席を離れたスキに、突風にあおられて崖下へ投身。

 

・トイレに立っている間に、横風に流されて入水→濁流に飲まれて行方不明。

 

など、とにかく油断すると勝手に自殺する過激な椅子なのである。

 

 

僕のものなど特に過激で、コーヒーを淹れている間に例の如く風に煽られて転倒。

運悪く倒れた先が焚き火の上だったため、気づいた時にはティック・クアン・ドック氏みたいになっていた。

ティック・クアン・ドック - Wikipedia

 

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのファーストアルバムのあの人みたいになっていたのである。

www.youtube.com

 

悲鳴をあげて懸命な消火活動をするも、

布地の致命的な部分を消失したうちのチェアワン氏(バートンコラボ限定品)は、

骨組みを残して破棄される結果となった。

 

さて、ここからが表題のお話になっていく。

10月に長期間旅をするのとフェスに行くのが重なり、どうしても椅子が必要になってきた。

そこでチェアワンの復活を考えたが、都合12,000円もする椅子をもう一度買い直すのも、いささか不経済である。

 

そこで考えるのは骨組みの残っているチェアワンを布地だけ買い直す方法だ。

しかし、ネットではどこを探しても販売していない。

 

安い偽物を買って布地だけ取り外すことも考えたが、著作権の関係か寸法が微妙に合わなくなっているようだった。

 

この問題を解決したのは、もっとも単純な方法だった。

アウトドア用品店のお兄さんに相談したのである。

 

お兄さんいわく

 

・布地だけなど、パーツでの発注は可能(ただし在庫は薄い)

・日本の代理店はモンベル

・価格は3,700円+税金+送料 

・在庫があれば一週間~10日で入手可能

 

とのことだった。

モンベルに行けばもう少し安いのかもしれないが、その場で発注した。

 

あまりいないかも知れないが、

愛する椅子が焼身して傷心の諸兄は、ぜひ活用してほしい。

 

颱風

沖縄では、台風の夜はみんな飲みに出かけるということを教えてくれたのは、

短い期間現地で付き合っていた年長の彼女だった。

 

確かに、ニュースが「猛烈な」と形容するような台風が来ている夜も、

那覇の繁華街は変わらず賑やかだったように思う。

むしろ、店のひとつひとつの中の熱気はいつも以上の、すこし異様な熱気があったようにも思える。

もちろん、暴風吹き荒れる通りを歩く人など皆無である。

ただ、その通りを飾る店々は、煌々と明かりをつけて商売をしているのだ。

 

沖縄の台風は凄まじい。

はっきりいって、関西で体験するものなどお話にならないレベルだ。

車を横倒しにし、信号を吹き飛ばし、樹を根こそぎ折り曲げ、文明生活に必要なインフラをことごとく奪っていく。

時には、運の悪い人間の命をも奪うのである。

 

そんな直下に飲みに出ると、どこかのタイミングで店に閉じ込められてしまうときがある。

外はとても歩けないし、タクシーを呼んでも店からの数メートルでずぶ濡れになってしまうのだ。

 

こうなったら風雨が落ち着いてくるまで、飲み続ける他ない。

バーには、似たような境遇の人たちがカウンターにへばりついていた。

これ以上、誰も入ってこないし誰も出られない。

 

即席の密室空間には、知っている人も知らない人もいたが、なぜかいつもより話がはずんだ。

妙な安心感と高揚感が漂っていた。

少なくとも僕は、うら寂れたボロアパートでひとり風雨の音を聞いているよりよっぽど安心した。

他にいる人たちも、一様に状況を楽しんでいるように思えた。

時折電気が不安定になったり、遠くで物の壊れる音が聞こえても、それを肴に一層杯が進んでいるようにも感じた。

 

知らないもの同士が結びつくきっかけは、同じ場所や経験を共有することにあると思う。

台風直下のバーには、まさにそれが揃っていた。

いつものバーとは違う濃厚な空気が、僕にはとても心地よく感じられた。

 

もう沖縄を出てずいぶん経つが、もしまた沖縄を訪れて、それが台風直下だったとしたら、あのバーを訪ねたいなと思うのである。

 

元気がなくなったら見る動画

元気がなくなったら見る動画がいくつかある。

載せておくのでみんなで過酷な季節を乗り切って欲しい。

 

インドのスリラー


Indian Thriller

 

ギター・洗濯機・ガスコンロの3ピースバンド


Total Eclipse of the Heart

 

森メタル


Korpiklaani-Wooden Pints [sub español]

 

海メタル

 

 

 

 

東京

諸用で月に2回も東京に行った。

いろいろあった。

 

①旅カフェ

世界一周から帰ってきたやや狂った友人が働いている下北の旅カフェにお呼ばれした。

客がほとんどいなかった。

本当は山ごもり(出稼ぎ)するつもりだったが、カフェを立て直すために残ったらしい。

頑張ってください。

一緒に行った社会人の後輩に「明日バイトしない?」と勧誘していた。

後輩は二つ返事でOKしてた。

 

 

②煙

後輩も含め、会う何かと煙を吸いに行くメンツで会った(合法の煙である)

前回は2回シーシャをカチ込んだので、今回は葉巻を吸った。

一人が歯にはちみつを塗るとまろやかだというので試してみたが、吸口が甘くなって確かに吸いやすかった。

東京は基本娯楽が高いが、やはり質も高いなと思った。

帰り道で通った恵比寿の外れの神社は涼しくて気持ちが良かった。

 

駒場東大

後輩の家に泊まった。

部屋がクソおしゃれだった。

後輩は高身長高学歴で一流企業に勤めててイケメンでおしゃれなので非の打ち所がない。

完璧超人。

後輩の家の近くの東大駒場キャンパスに行った。

購買部の実験器具を見たりして帰った。

後輩は旅カフェでバイトなのだ。

 

④五反田

大学の友人と五反田で飲んだ。

みんなそこそこおっさんになってたが、厳しいご時世なんとなく生き残れててよかった。

東京の満員電車は心を無にして乗るらしい。

非人道的な街だ東京は。

 

⑤バー

いとことバーに行った。

途中で某大物女優が入って来た。しかもいとこと普通に喋ってた。飲み仲間らしい。

びびって「ふぇッ」って言ったら「ふぇッて言われた~」と返された。謝った。

その後普通に3人で飲んでた。

帰りにコンビニで炭酸水とジャガビーおごってもらった。

 

⑥麗郷

彼女と渋谷を歩いていたら小腹が減ったので、何の気なしに入った中華屋が大当たりだった。

かつて食べた中でベスト3に入るレベルのチャーハンと水餃子だった。

こんどあそこで飲み会したい。

 

⑦モヒンガー

完璧超人の後輩と高田馬場ミャンマー料理屋に行った。

後輩はモヒンガー、僕は豚の煮込みを頼んだ。

出てきた豚の煮込みはかなりカレーに近い感じだった。

後輩のモヒンガーは現地より汁が多い気がした。

モヒンガーという料理の実態はぜひ自分で調べてみてほしい。

 

⑧サウナ

ミャンマー料理後サウナに行った。

笹塚といううさんくさい街のうさんくさい雑居ビルの最上階にあった。

客もこれまたうさんくさく、エグザイルくずれとか不動産屋のツーブロックゴリラみたいなのが多かった。

狭かったが設備が充実してるしセルフでロウリュウもできるかなり意識高い系サウナだった。

最高だったのが「外気浴」という名目でベランダに出て外を眺められることだ。

東京が一望できて気持ちよかった。

あれは良い文化だ。

 

 

 

 

YMCA

西城秀樹が亡くなり、毎日TVに例の曲を聞かされている。

例の曲だが、原曲はアメリカのVillage peopleというゴリッゴリにゲイ受けを狙った(またはネタにした)グループの歌だということは意外に知られていない。

 

そもそもYMCAというのはキリスト教系のユースホステルのような簡易宿泊施設である。

同性での共同生活の中でゲイが多く集まる=ゲイの巣窟というステレオタイプから、YMCA=ゲイというスラングにも(当時は)なっていた。

 

PVもゲイのステレオタイプ衣装をきたメンバーが妙にノリノリで踊るというカオスな仕上がりになっている。

 

 

 

どうもTVで例の曲を聞く度に、このPVが頭に浮かんでくるのだ。

 

ベトナム

ベトナム出身の友人とベトナム料理を食べる機会があった。

それがきっかけで、なんとなく手元にある開高健の「ベトナム戦記」読み返したり、最寄りのフォーが食える店をネットで調べたりしている。

 

ベトナムで忘れ得ぬ光景が一つある。

始めてハノイに降り立った翌日の朝のことだ。

僕は始めて行った国の最初の朝はどうしても早起きしてしまう。

それがベッドが変わったことによる繊細な理由なのか、新しい土地への好奇心からなのかはわからないが、暗いうちから起きて街を恐る恐る歩き出すのだ。

旧市街はすでにすこしづつ目覚めていた。

ハノイの朝は早い。まだ日も昇らないのにあちこちから煮炊きの香りがし、スクーターバイクの地を這うようなエンジン音も少しづつ増え始めていた。

夜の残滓のような強く青がかった街は、大気汚染か物を焼く煙のせいか、米のとぎ汁を薄めたように淡くくすんでいる。

その中にぽつりぽつりと紅い光が灯っている。火の灯だ。

家の前に七輪のような物を出して、何かを焚いているのだ。

近くに行ってみると、何やら紙幣のような物を燃やして、拝んでいる。

それはかつて沖縄で見た清明節の儀式に似ていた。

金や物に見立てた紙を燃やし、天上の世界にいる先祖の霊に送るのだ。

しかしそこで見た儀式は周囲の景色もあいまって、神聖なようにも幽鬼の悪戯にも見える。

この世とあの世の狭間にあるような光景だった。

彼岸の際の世界をさまよっていると、突然それは存在した。

骨だ。見たことない大きさの骨。

道路の真ん中に突如として、巨大な牛の亡骸が現われたのだ。

ちょうど頭と両足を落とされ胴だけの肋骨が、僕の前に置いてあった。

ただそれだけだ。

ただそれだけだったが、ベトナムのどの光景よりも鮮明に覚えている。

それだけなのだ。